デッドエンドの思い出 よしもとばなな

デッドエンドの思い出

デッドエンドの思い出

本筋とは全く関係ないのですが、あの書体、読むの苦痛じゃございませんか?
私は4編めくらいで、イライラも頂点に達してしましました。
詩とか短歌や俳句くらいのボリューム、もしくは100歩譲ってあの3編ぐらいで、イラストや写真が織り交ぜられてたら……まあ、しぶしぶ許せるかなぁと思うのですが。
こんなことを感じたのは私だけかもなあー。

必ずこの作品を語るときに必ず、著者が表題作が「自分の作品で一番好き、この作品を書けて、小説家になってよかったと思える」という台詞だ。
あえて台詞といおう。
最新作が一番好きといえないようじゃ、職業作家として失格だと思う。
だって引退したわけじゃないでしょう? ばななさん。
そういう台詞を売りにするって、現役の作家として、なんだかとても恥ずかしい気がする。これも私だけかなー。

全体を通して、なんだろうか、これも誰もが書くことなんだけど、“登場人物がいい人過ぎること”。
まさに、こんなに世間は甘くないよ、と思ってしまう。
一編なら、いい話だった、読後も気分良かったと思う、毒吐きすぎ!と指摘される邪悪な私でさえも。
それが5編、まとめて読んじゃうと、甘えてんじゃないよっ!って物を投げたくなる。
様々な理由で傷ついた主人公たちが、やさしい家族や、恋人、そのほかの人によって、癒され、再生していくというお話たち。
同じように傷ついた人がこれを読んだらどう思うだろう?
あとがきで著者は、ゲラを見て泣いたというが、泣き虫の私が全く泣けなかった。
心に迫るものがなかった。全て絵空事に見えてしまって、冷めていたのだろうね。
幸せな人(書き手)が、そうでない人(読者)を哀れんでいるような、救ってあげるみたいな、思い上がったような態度? そんなものを感じたな。
まあ、これは90%私の被害妄想だろうけど。
確かに、よしもとばななは上手に書いている。
「幽霊の家」も「おかあさーん!」も好きだもん。「おかあさーん!」は、いくら何でもカレー事件、まんま使わなくても……って苦笑ものだったけど。
それぞれの主人公より、魅力的なのが、男の子たち……「幽霊の家」の岩倉くん、「あったかくなんかない」のまことくん、「デッドエンドの思い出」の西山くん。
でも、そんな子なんて実際にはいないの。たぶん。

友だちの大学生の男の子が「文学で癒されようなんて考えはわからない」と言っていた。
きっと、同じような苦しみを抱えている人たちは癒されることなんてないはず。
つらつらと整理せぬまま書いたけれど、そんな私の心は、やはり汚れちまっているのでしょうか?

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マウス > シビアな感想ですが、おっしゃっている部分は良くわかります。なんとなく自閉した雰囲気にいらだちを感じられたのでしょうか?「自分が存在している事自体を肯定されたい」という欲求はとても自然で根源的でイノセントで・・・でもそれがそのまま満たされるのは小説の中ですら少し甘過ぎるのではないかと私も感じました。 (2003/12/19 22:19)
ふりすか > そうですね、自閉した部分にいらだち……なのかも。満たされることって、なかなか難しいと思っているので。 (2003/12/22 15:05)
エリコ > 今日読みおわったんですが、思い上がったような態度って、すごくよくわかりました〜。
自分の感想をUPしたあと、本プロの感想を全部読んでみたのですが、みんな好意的なのにふりすかさんとわたしだけ同じようなこと書いててちょっとおもしろかったです。
ほんと、ひとつひとつはいいんですけどねぇ。 (2003/12/26 03:35)