潤一 井上荒野

潤一

潤一

ウフ。で連載されていた連作短篇。
タイトルが主人公の男の子の名前、目次がそこでかかわった女性の名前と年齢という構成。
そこでふとオットの両親と食事をしたときの話を思い出した。
オットの名前は、100人中100人が正しく読める、それ以外に読みようがないでしょ、という名前。
誰にでも読める、多くの人に呼んでもらえるという願いを込めてつけたそうだ。
多くの人に名前を呼ばれることがいいことだという思いから。
それにひきかえ私の名前は、読みは平凡な名前だが、なかなか正しく読める人は少ない。
私はむやみやたらに親しくもない人から名前を呼ばれたくないし。
大事な人にだけ、親しい人にだけ呼んでもらえるほうがうれしいと思うタイプだから全くオットの両親の考え方には共感できない。
かといって名前は奇をてらっているわけでもないし。
だからタイトルや、目次の“名前”の並びを見て、考え方の差こそあれ、漢字の意味や字画以外にもたくさんのものを含んでいるものだな、と感じた次第。

風来坊の潤一と彼とかかわった14歳から62歳までの女性たちの物語。
誰とでもセックスが出来て、心の結びつきは薄くしがとれない。
潤一とのかかわりで炙り出される女たちのドラマ。
どんな女にもあるココロノヤミ。不思議な作品だった。
肝心の作品の感想よりも、名前についてのコメントの方が長すぎましたね。
でも、私にとっては確かにこの本を読んだ感想の一部ではあります。