愛情日誌 夏石鈴子

愛情日誌

愛情日誌

夏石鈴子は好きな作家の一人だ。
「ウフ。」で短期連載してたやつで1冊にはならんだろう? とか「愛情日誌」っていう感じでもないよなあと思っていたら、
「おでかけ」小説新潮(2003.6)
「愛情日誌」書き下し
「催花雨」ウフ。(2003.6,7,8)
と、いうことでした。

実は「おでかけ」を読んでる途中、ほんっと厳しかった。
子育ての気分なんてわかんなくて、読んでて辛かった。
ちょうど「ウフ。」の最新号の「真紀&吐夢」の対談で「子どもいなくちゃ子ども映画は語れないのか?
(そんなはずないだろう、以下参照)
戦争映画は戦争経験した人、犯罪映画は前科者、ゾンビ映画は1回死んで生き返った人、動物映画は動物しか語っちゃだめってなるじゃない」と。
そんなの読んだところだったので、軽々しく子どもいないからわかんないっつーの!
とはいえないなあと思いつつも、やっぱり、そういう気持ちが強くなるのは、ほとんど諦めてはいても、子どもを産んでみたいと思っているからだろう。
というか、正直妊娠・出産はしてみたい。でも子育ては?と考えると、もう若くはないので生まれればなんとかなるという、気持ちになれないところ、
そして、いくら望んだところで根拠はないけど無理っぽい。。。という心持ちがこの辛さの原因なのだと思う。
なにより、夫との今の生活が変わることが怖いのだ。
それでも子どもを守りたいと感じる瞬間の描き方とか、終わり方はとてもいいなあと。
次の「愛情日誌」は、さらに同じ家族の続編なんだけど、これは、すごーく良かった。
夫婦の感じ方の違いというかズレだとか、それを考えたり、話したりすることで、大事なものや大事なことがみえてくる。
キレイゴトじゃなく現実をきちんと突きつけるのだ。
それがこの夫にはみえているのか? わかってるのか? と心配なんだけど。

ずっと一緒にいるということは、相手の体の記憶が、自分の体に移り住むということだ。体のことだけじゃない。一緒に過ごしてきた時間が層をなして、お互いの成分になるということだ

この人のこういう表現が好き。
そして「写真などに残らないささいな瞬間が」体の成分になると。
最初は、家族ものなんて読みたくないよ。といじけていたけどよかった。
最後の「催花雨」は主人公千晴ちゃんの考え方の回路というか、割り切り方が好き。しかも、きちんと自分で決めたことは自分で責任取るっていう潔さ。
こうして言葉にしちゃうとものすごく毅然とした強い風貌の女の子を想像するけど、そうじゃなくて。
ものすごく冷静なの。青木さんとの情事の最中でも。
いちいちうなずいてしまう(苦笑)

とにかく、この本、男の人が読むにはキツイだろうなあ。
女の本音が描かれてるもん。凹んじゃうと思う。