「夜想」貫井徳郎

夜想

夜想

東野圭吾亡き後(直木賞受賞しちゃったあと)、そのポジションは貫井徳郎が継ぐといわれてますが(笑)、今回、文藝春秋刊行にもかかわらず受賞どころか候補にすらならなかった本作品。
読み終わってみてなんとなくわかった気になりました。
もちろん他の候補作を読んでるわけじゃないけど(おい)なんか、いいたいこと書きたいことはわかるんですけどー……みたいな?

『慟哭』に続き、新興宗教をテーマにしました。
ですがオウム事件以前に書かれた『慟哭』とはまったく違うアプローチをしています。
宗教は危険、いかがわしいというイメージを大半の日本人が持っているのに、
なぜ宗教にのめり込む人が今も絶えないのか? そうした疑問が、この作品を書かせました。

いやいや「新興」宗教ってちゃんと書かないとね、貫井くん(笑)
そういう意味ではちゃんと書かれてない気がするなあ。
いわゆる普通の宗教(って書き方も変だけど)ではなく、新興宗教にのめりこむ、その違いがなんなのかが知りたいわけですよ。
どちらも、お金は絡んでくるけれど、その絡み方が違うっていうことが必要な気が。
あと「自分を救うのは自分しかいない」…って、宗教否定?
でも、自分の力は不可欠だけど、ひとりじゃ救われないんじゃないかな、って私は思ってます。
個人的には母親の娘探しのほうがおもしろかったかな。
でもやっぱり桐野夏生が頭に浮かぶ。
結局、主人公とその母親の接点がうまれるんだけど、実はその母親はほにゃらしてたっていうことで、無理にミステリ仕立てにすることはなかったような。
かえって視点がぼけちゃうというか。
もっと、自分の喪失感と無力さについて掘り下げて欲しかったと思います。
どっちつかずかな。