『ボクシング・デイ』樫崎茜

ボクシング・デイ

ボクシング・デイ


本筋とは違うかもしれないけれど、どんなにがんばってもどうにもならないことってある。
大人になったらもっとたくさんそういうことがあるだろうと、小学校4年生ぐらいで悟るのって悲しいけれど大事だと思う。
スイミーの声を信じたり、黒曜石を隕石だと信じてしまうくらい幼い子たちであっても。
教職員試験で汚職があった事件で、「先生には地道に努力することが報われることを子どもに教えて欲しいのに…」とかぬるいコメントをしている大人たちにいいたい。
子ども馬鹿にすんな。
そんなことが頭に浮かんだ作品です。だからといって、とても荒んでいる話でもなく、プルタブなんかが出てくる昭和な時代のごくごく平和でのどかな環境である。

「ボクシング・デイ」クリスマス当日にいろんな事情があって贈り物を開けられない人々のための一日遅れの日。
意味は調べていただくとして、遅れてもらう贈り物というよりは、誰もが贈り物を持って生まれてそれを与えたり与えられたり…という意味合いのほうがあってる気がする。なんとなく角ちゃんの『福袋』を思い出したし。

やたら乳歯が抜けた描写がほめられていたけれど、私にはその描写が特にストーリーとか作品に何か効果があったかというと疑問だけど。
「ボクシングデイ」についても、まあこの言葉が使いたかったのかもしれないけれど、読み終わってもぴんと来なかった。
で、結局、主人公が抱えている悩みもキーパーソンになる先生を描きたかったためにお膳立てしたような感じもするし、遅れて開く贈り物がどうとかあんまり関係ない。
なので、冒頭のような感想になってしまったのだ。そういうわけで複雑。